あけましておめでとうございます。
1年10か月ぶりの更新となります。


これまで、動く気配のない当ブログを見に来てくださった方々、
本当にありがとうございました&申し訳ありません!


えー、まずはこれほど更新できずにいた理由を手短に。


妊娠→出産→子育てしておりました。


今日は珍しく、子供が爆睡してまして、
ひさしぶりにパソコンに向かうことができております。


忙しさやら体調不良やらで、ここまで更新をさぼってきてしまいました。
情けないことに、創作にもまったく手がつかない状態で、
今後の見通しも立っておりません。。
やりたい!という気持ちと構想はたっぷりあるのですが…


とりあえず、ご報告だけは!とずっと思っていたので、
この機会にご挨拶させていただいた次第です。


子育てについては順調にきております。
忙しいのもそろそろひと段落…という時期なので、
今後は創作の時間をいかにひねり出そうか…と考えているところです。


次の更新まで、おそらくまた間が空いてしまいますが、
時々、思い出したころにのぞいていただけると、
私としてはうれしい限りです。
今後ともよろしくお願いいたします。


2013年が、皆様にとって幸多き一年でありますように!

震災発生以来、何故か詩などの創作欲が異常に高まっています。
やっぱり追い込まれると出てくるものなんでしょうか、こういうの。


今回に至っては詩と同時に『曲』まで出てくるしまつ。
歌なんです。メロディついてるんです。作詞作曲自分。
こんなときに一体なに開眼してんのか私、と思いながら、
携帯でボイレコ録音してしまいました。
できればちゃんと曲として仕上げてみたいな…と大それたことを考えています。


…なにやってんだかと思いつつも、これは15日の「覚悟」の延長にある気がします。
今までなら、メロディが思いついても

「どうせなんかの曲に影響受けてカブってるんだろうな。うわあ恥ずかしい!」

と捨ててきてしまったのですが。


後悔しないように、やりたいことはやってやるぞと決めたのです。
さあ、弱気な自分を蹴っ飛ばせ!




『虹は光る』



突然 降り出した雨
すりむけた頬にきつくしみた
「なんでこんな日に限って!」
慣れない靴で走り出す


重なる痛み ダメになりそう
弱気振り切って 足を蹴り出すんだ


虹は光る 嵐の向こうにいる
誰にもわからない場所で
待っている 大きく手を広げて
青空を抱いて 


ちょっと待ってみたけど
ちょうどいいバスは来ないみたい
「いいよ、走っていくよ」
びしょ濡れ平気になったつもり


無理してる、知ってる、震えてるから
空元気でいい 顔を上げてたいんだ


闇に光る稲妻 導いて
嵐を抜けだせる力
大丈夫 言い聞かせている
私 走れるんだから


息がつまる 留めようのない涙 溺れそうになる
でも頑と 泣いてないと言い張る
私 走れるんだから


虹は光る 嵐の向こうにいる
誰にもわからない場所で
待っている 大きく手を広げて
呼んでくれている
虹は光る 押し寄せる闇のどこか 必ず出会える
迎えにいく 走ってく先にきっと 太陽はある
 

私がパニック状態から抜け出すまでの、3月14日~15日にかけての記録です。


☆要注意!☆
※当日を振り返っての記録ですので、原発事故に関しての情報は、3月22日現在にはあてはまりません。
※私や夫の憶測でものを言っている部分(斜体部分)は事実ではありませんので、この部分の内容は信じないでくださいね!

☆原発事故について、落ち着いて現状を理解するにはこちらをおすすめ!
分かりやすい!放射線や放射性物質を「おなら・うんち」に例えた動画
http://dt.business.nifty.com/articles/655.html


3月15日火曜日、未明。

長い夜だった。
朝起きて、世界が一変していたら…と考えると、眠るのが恐ろしかった。
でも、非常時なればこそ体力を保つために眠らないわけにいかない。
ましてや私はお腹を下したばかりで、あまりのことに胃が緊張でしこり吐き気までする。
これで一睡もしなければどうなるか明らかだった。
こんな場面で体調不良なんて最悪だ。


しかたなく、眠ろうとしてテレビを切った。
でも、今日ばかりは沈黙と暗闇が安らぎをつれてこない。
きりきりとした焦燥と恐怖があるだけ。


結局、テレビをつけっぱなしで眠ることにした。
それに、もし臨界事故になったら、すこしでも曝露を防ぐために、
すぐに家中の換気扇を閉めなければならない。
(※上記の動画を見ていただければわかりますが、現在、避難・屋内待機指示の出ていない地域では、この対応は不要です。皆さんパニックになりませんように!)


長い夜だった。
手を組み祈り続けながら、
時折うとうとと舟をこぎ、テレビの音声が一瞬でも途切れれば飛び起きた。


お願いします。
お守りください。
どうか、最前線で戦っている職員さんたちを無事に帰してください。
どうか、悲惨な被害にあわれた方々にこれ以上の苦しみを与えないでください。
どうか、この国全体に何年も残る傷を刻ませないでください。
どうかどうか、お願いします…


長い2時間の後、午前4時ごろ。
炉心の状況を考えると、いつ致命的な報告が来てもおかしくないころ。
一報が入った。
が、間抜けなことが起こる。
夫のいびきの音が高すぎて全く聞きとれない!
緊迫した場面なのに逆に笑えて来た。
どうにか拾った情報では、高圧状態を解消するための弁は開いた。ただし水が入っていかない。
理由は現在調査中とのこと。
予断は許さないが、一息ついた。
あとは、水さえ入ってくれれば…と思い、また祈りながらうとうととまどろみに入った。


午前6時30分。普段起きる時間である。
しかし、追加の情報がこない。なんだかはっきりしない状況である。
ふだんなら夫は7時に出勤してしまう。
行くなとは言わないが、不安…と思っていたらすこし時間を遅らせてくれた。
ひととおり準備が終わり出勤、という段になって、テレビがまたトンデモなことを言い出した。


2号機で爆発音、圧力制御室破損。


夫婦そろってハア!?と声をあげる。
なんなんだこのドミノ倒しの同時多機能不全は。
現実、おまえいつから『24』になったんだ。


夫は驚きつつもとにかく出勤するという。
不安で不安で、帰ってきてね、と泣きつくと、
死亡フラグやめろ(笑)と空気を和ませて出かけていった。


それにしても、寝不足で体が重い。胃がむかむかする。
食事をしなくては…と思いながらも動く気になれず、
ソファでうとうとする。


テレビを遠く聞きながら、気がつくとお昼ごろ。
なにか聞き捨てならない単語を聞いて目をさます。


4号機火災。使用済燃料再加熱か。


…ぷつりと恐怖の感情が途絶えた。
なんだろう。ぼんやりする。
起き上がる気力すら起こらない。


ぼうっとしたままチャンネルを回す。
安心させてくれる情報がどこにもない。
どの番組ものっぺらぼうの立方体が画面にあるばかり。


と、ふと何気なくまわしたチャンネル。
いつも見ているワイドショーの面子が深刻な顔をしている。


佐野元春さんの詩が紹介される。
…。
聞いて、ずっと我慢してた涙がぽろぽろこぼれてきた。
画面の向こうで、キャスターの方も声をつまらせている。


現実感が戻ってきた。
直接被災したわけでもないのに、情けない。
涙をぬぐって、残り物をあたため、昼食の準備。
食欲は全くなかったが、えづきながらむりやりご飯粒を飲み込んだ。


午後4時現在、4号機の火災は鎮火したらしい。ありがたい。



…覚悟を決めた。

これから、何が起きても、それがどんな最悪のシナリオでも、
それが現実なら、私は全部受け入れる。
そして、同時に希望は捨てない。


どうしてもできなかったこと、
どうにもならなかったことを想像して悔やむのをやめる。
IFの話は、もうやめる。


世界がどんなに変わっても、誰を、何を失っても、私は生きていこう。
私のできることを全力でしよう。


そして、信じよう。
みんな、必死でがんばってる。
そのがんばっている人たちを信じよう。
不安にかられてダメだ、と口にするのをやめよう。
うまくいくのを信じよう。
強く信じることで、その未来を呼び込もう。


それが今、私にできることだ。


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これは、15日に一気に書き上げたものです。

自分の不安や思考を書き出すことで、私は少し冷静になれました。

もし、何かもやもやしたものを溜め込んでいるなら、吐き出すことで少し楽になれるかもしれません。

私がパニック状態から抜け出すまでの、3月14日~15日にかけての記録です。


☆要注意!☆

※当日を振り返っての記録ですので、原発事故に関しての情報は、3月22日現在にはあてはまりません。

※私や夫の憶測でものを言っている部分(斜体部分)は事実ではありませんので、この部分の内容は信じないでくださいね!

※原発事故について、落ち着いて現状を理解するにはこちらをおすすめ!
分かりやすい!放射線や放射性物質を「おなら・うんち」に例えた動画
http://dt.business.nifty.com/articles/655.html



3月14日、月曜日の夕方。
夫が帰ってくる直前のことだった。
地震や原発が気になってしかたなく、テレビを消せずにいた。
チャンネルは、NHK総合だった。民放の情報より確実だろうと思われたので。
そのテレビから、あるニュースが流れた。


福島第一原発の二号機、燃料棒がむきだしになり炉心融解(メルトダウン)の恐れ。


「えーっ!?」

さすがにやばくないか。半分でもあんなに大騒ぎだったのに全部なんて。
それに聞き覚えがあるぞ、メルトダウンって。
過去の最悪の原発事故で。


あわててケータイで検索。
ちょ。スリーマイル島の事例がすごい似てる。


と、夫から「今から帰るよ」コール。
さっそく現状を話してみると
「えっ…それはもうスリーマイル島越えてる…次はもう、チェルノブイリの段階だ」
なんてこと。
あまりのことに現実味がない。
日本で、日本が、チェルノブイリと同じに?

(※上記の動画を見ていただければわかりますが、現在そこまで状況が悪化するとは考えられていません。皆さんパニックになりませんように!)


もう夕飯の支度が手につかない。
手がかたかたと震えた。
夫に早く帰ってきて、と泣きつき電話を切った後、
今年の初詣&厄払いで頂いた、神社のお札を拝んだ。


初めて、に近い。
本気で神さまに祈った。


どうか、日本国をお守りください。


そして付け加えた。


お礼として来年の厄払いは一番高いのにします!!


…間抜けなことに本気で誓った。



夫が帰ってきて、どうにか食事を作り、食べ終わる。
そのころ、炉心の水位が回復したと一報が入り一安心。
またも間抜けなことに、緊張しすぎたのかお腹を下す私。
湯たんぽで暖め、なんどかトイレに通って、ようやく深夜1時ごろに復活。
お風呂に入った。


さっぱりし、すっかり寝るつもりで寝室に行くと、
…テレビがまた信じがたいことを注げていた。


二時間前からまた水位低下。空焚き状態。


しかも、高圧状態を解消するための弁が開かない。
圧がありすぎて水が入っていかないのだ。


最も恐れていた単語が頭をよぎる。
このまま温度が上がり続ければ…
…再臨界。


そう考えたらもう、眠気などふっとんでしまった。

こんなことが現実に起こるなんて信じられなかった。


無力だった。
神さまに祈るしかない。
お願いします。
お守りください…。

この3年でいろいろありました。
彼ができたり、短期派遣やったり、引っ越したり、結婚したり、また派遣やってクビになったり、また引っ越したり、また学校へ行ったり、クリエイターズマーケットに参加したりしてました。

2011年に入ってからは、その前年からはじめたニードルフェルトの作品づくりを、順調に進めているところでした。
夏のクリマにも申込をすませ、はりきって量産していました。

あの金曜日も。


午後のワイドショーを流しながら作業していたら、
なんだかくらくらしたのです。


「あれ、何か体調悪いのかな。…!?」


周りのものも揺れていたので地震と気づき、
慌てて窓を開け庭に飛び出してしまいました。
(今考えると危険な行動ですね…ガラス割れてたらどうなってたんだか)


はじめて感じる、大きくゆっくりとした気持ちの悪い揺れかたに、
これは震源は遠い、そのうえ強い…!と焦りながらテレビを見ると、
東北地方に震度7、大津波警報の文字が…
しかも到達時刻が数分後とあり、そんな!と悲鳴を上げました。
そして次々に届くすさまじい被害の一報、現実と信じがたい映像…


テレビの前でがたがた震えながら、
お願い逃げて!助かって!
と念じ続けていました。


その後、毎日不安でしかたなくて、土日はテレビから離れられず、
速報が飛び込んでくるたびに、心臓をわしづかみにされるようで。
無意識に歯を食いしばってひどい偏頭痛になってしまったり、
原発が気になるあまり眠れなくなってしまったりでした。


18日現在、私は少しずつですが落ち着きを取りもどしつつあります。
そのきっかけが14~15日にかけてにありましたので、
次回はその記録をアップする予定です。

3 月 11 日に発生した東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。


幸いなことに、私の住む地域ではなんの被害もなく、
東北在住の親戚も無事との連絡が取れていますが、
原発でのトラブルや現地の深刻な現状を見聞きするにつれ、
ひどく落ち着かない日々を過ごしていました。


ガスも電気も水道もあり、当然のように日常を過ごせている自分に、
罪悪感を抱いたりもしました。
(精一杯節約し、募金に回すと決めてはいますが…)


この状況下で今回、3年も放置していたブログを、

更新してみようと思った理由は以下のとおりです。


1.自分自身がパニックに陥らないようにするため
2.携帯での通話・携帯メールの代替のため
3.今できること、したいことをするため


誰かに今の気持ちを話したい。
でも、携帯での通話やメールは帯域に負荷をかけてしまう。
ここ数日我慢していたのですが、
仕事中の夫を待つ間、1人で自宅で黙っていることに限界を感じました。


なんとか自分を鼓舞しようと、テレビを消して好きな音楽をかけたりしていたのですが、なかなか感情の制御がきかなくて。
情けないことですが、現在取り組んでいるハンドメイド作品づくりがどうしても手につかず、パソコンに張り付いて過ごしています。


このままだと無意味に、体調を崩すまで落ち込んだり、
不安に駆られて買いだめとか馬鹿なことをしてしまいそう。
ならばいっそ、書くことで発散した方が迷惑にならないのではないか、と考えました。


この衝動や意欲がいつまで続くか正直わかりませんが、
書きたいことを書ける限り。書いていこうと思います。

新年早々やっちまいました。お酒の席で失敗です。
それもサワー1杯でひっくり返りましたよ。


もともと度数の低いカクテル1、2杯が限度という弱さなので、
飲むときはいろいろ気をつけていたはずなのですが…こういうこともあるんですねえ。


どうも、サワー初体験だったのでペースをつかみそこねたのと、
目の前でおなべがぐつぐついってる状態で暑かったのか、
いつもより早いペースで飲んでしまったのがまずかったようです。


飲み会が始まって1時間ほどして、
「あれ?なんか気持ち悪いかも…」と思い、お手洗いに立った瞬間えらいことになりました。
体は重いわ耳は聞こえないわ心臓はばくばくいうわ。


「え?ナンダコリャ」と思いつつ移動するのですが、頭がぐらぐらしてまともに歩けません。

そのうえ汗がどっと噴き出してきて、服のそで口から細く湯気が立ち上っててびっくり


「えええ?」あわてふためきつつも状況を分析開始。
なんか全身火照ってるし肌がわーっと沸いてるみたいな感覚あるし自分酒くさい自覚あるし…
これっていま、急に回ってきたってことだよねえ?


そこまでは分かったのですがとにかく暑くてだるくてぐらぐらして動けない。
しばらくしゃがみこんでいたら少しましになったので、
熱気のこもる店内から外に出てみました。


幹事の子に水を差し入れてもらってしばらく座り込んでいたら火照りは引いたので、
「うーん汗かいて寒いとこって…このままじゃ風邪ひくよなあ」と思い店内で横にならせてもらうことに。


ウーロン茶と胃薬をもらって初沈没体験。

ひたすらぐったりしてたんですが…徐々に嫌な感じに。
「…。やべ」と行くべきところに行ったので粗相はしなくてすんだのが不幸中の幸い。
しんどい時に、さっき薬をくれた子が気遣ってくれて、親切が身にしみました…ほろり。


その後再び薬をもらい、お茶を飲みつつ横になってたらずいぶん楽になりまして。
飲み会の最後あたりにはどうにか復帰。
さすがに2次会はやめておいて、おとなしく電車で帰りました。


その後徐々に回復して、家に着くころにはすっかり元気に(汗)
なんだったんだろう…


うー。飲み会のメンバーに心配をかけてしまったことが申し訳ないー。
そしてせっかくの機会を楽しみきれなくてショックー。
はあ。こういうのって結構へこみますねえ。


あと、いつもは料理を楽しむのがメインなので、
あたいとしたことがコース料理の途中で脱落なんて!あああなんこつが肉がアイスが
ていう悔しさが残っております(食い意地が張っているだけともいう)

くそう…今度行く時はノンアルコールでくいだおれてやるう~(じたばた)

ものすごく久しぶりに記事を書きます、カイナでございます。


しばらく放置してるうちに、アメブロもいろいろ変わりましたねー。

ついに我が家のマックちゃんでは記事の書き込みすら不可になってまして。

愕然としつつニューフェイスなノートPCちゃんでこれを書いております。


はじめて個人で窓社OSを使うこととなりまして、

今までできなかったことやら世間においていかれていた部分などがありまくりで、

いまいちまだ対応しきれておりません。

ぼちぼち慣れていくかなあと思ってますが。


前置きはこのへんにして、最近の近況ですが。

実はいろいろあって再び学生になったりしてました。

勉強してたのは主にWebデザインの技術となります。HTMLとかCSSとかジャバスクとか。

何も知らない状態から学び始めたので、そんなにすごいことができるわけではないんですけどね。

ただ、せっかく覚えたことなのでこれからいろいろ作ってみるかなと思っております。


さて、ここでPRコーナー。

学校で作った卒業制作サイトをご紹介します。


http://www.geocities.jp/sozai_de_game/


ファミコン時代のゲームっぽく仕上げました。
なにも考えずお気楽に遊んでもらえるサイトなので、
一度見ていただけるとうれしいです。


いやー久々に書いたせいですっかり文の雰囲気が変わってますね…ええと当人ですよ?
まあ、今後の課題が「気負いすぎずさくっと更新!」だったりするので冷静さを保とうとしているのですが。
また何かハマリものについて語った瞬間もとに戻ると思います(断言)
では、このへんで。

その塔は高く高く伸びていた
白い白い壁は何者も受け付けぬかのようで
青い青い空をまっぷふたつに引き裂いている

登れ
登れ
と声が聞こえる

今にも強い強い風にさらわれそうに寂しいのに
あたたかく望むものはこの上にしかないのだと

登れ
登れ
と声が聞こえる

いつしかそれは
己が発しているのだった
〈テーマ:飛行生物疑似体験〉
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風渡るこの高台は、豊かな気流に恵まれ、良質の風音に満ちている。
くるくると周囲を舞う笛のような音色の中で、背伸びをするように薄い皮膜を思いきり伸ばし切った。
途端に空気抵抗を一身に受け、よろめかないようにしっかりと脚爪で踏ん張って耐える。
まるで気流に試されている気分だ。
「っ」第4指と第5指のあいだの、ひときわ広い部分の皮膜があおられて一瞬めくれ、びりりとした。
心地よい痛痒感。

だけど、これがばさばさと揺れているうちはまだ駄目なんだ。
風に遊ばれて、乗せられているようじゃ半人前。
本当に飛ぶということは、風と同じものになるということだから。
気流たちと踊るためには、身体を、精神をどこまでも軽くし、
無駄なものをそぎ落としていかなくてはならない。

目を細める。
毒々しいほど蒼く碧い空にすうっと呑み込まれながら、
また呑み込み返すように睨みあげて。
意識の境界をふらふらとさまよいながら、
それでも目にうつっていたのは、
ただ空、
青い空、
この風の行き着く先は、
我が身と祖先、子々孫々、無限の先まで還るべき場所。

気がつくと何の音もしなくなっていた。
皮膜は鳴るのをやめていて、風と平行に、なめらかに注がれる流れに沿ってやわらかく伸びている。
自分の全部が、お腹の中から頭の先端まで透明になった気がして、
ああ、と思わずちいさく笑っていた。
力なんかちっともいらない。

行こう、と、何の気負いもなく、
まるで小川をひょいと跨ぎ越すくらいの気持ちで、ふっと爪先を蹴って。
何もない領域へ。
滑り出していた。